毎日を淡々と過ごしているあなたへ「当たり前の生活」が送れることに感謝しよう!

あなたは今、幸せですか?

2020年は新型コロナウイルスによる影響で、今まで「当たり前」にできていた日常が全国で突然奪われてしまいました。突然の一斉休校に、自宅でのテレワーク。電車や飛行機はガラガラになり、スーパーやデパートも人はまばら。そんな生活になって初めて、今まで当たり前にできていた生活が、どんなに過ごしやすかったか気づいた人も多いはずです。

今回は、そんな当たり前の日常がどんなに大切か、私のちょっと重めの実体験も含め、わかりやすく解説したいと思います。これを読んだら、きっと明日からもっと充実した生活を送れるようになると思います!

コロナ禍で変わった「当たり前の生活」

コロナ禍でいろいろなことが変わりました。

・マスクが必須(真夏でもマスクが手放せませんでした)
・3密回避
・食べる前、帰宅時は手洗い必須
・除菌アルコールや除菌シートの携帯必須
・公共の場所ではなるべく非接触
・外より自宅で飲食
・外出自粛

大きなイベントとしては、東京オリンピックが来年に延期されましたね。今年、修学旅行や運動会などの学校行事は大幅に縮小を余儀なくされています。大学生はいまだに大学に通ったことがない人もいます。

エンターテイメントに関係する人たちも、以前のようには活動できていません。観光業や飲食業の人たちは、収入減はおろか廃業になっている人も少なくありません。

このように、新型コロナウイルスのせいで、私たちの日常は大きく変わってしまいました。今後、元の生活は本当に戻ってくるのでしょうか?それは、まだわかりません。今はまだWITHコロナとしての生活を続けていくしかないのです。

私に起こったできごと①

まずは、私が「当たり前の生活」がどんなに幸せかを悟ったできごとについて、説明したいと思います。私に起こった不幸なできごとの1つ目は、突然亡くなった叔父の話です。

私の叔父には子どもがおらず、私たち姉妹をわが子のようにとてもかわいがってくれました。実家の近くに住んでいたこともあり、第2の父親のような存在でした。私が結婚してからも交流は続き、長男が生まれてからも夫と一緒に、実家に帰った折によく遊びに行っていました。

驚くことに、息子の誕生日は叔父と同じ日で、何か運命のようなものを感じたものです。1歳の息子の誕生日も、別の日ではありましたが、叔父の家で一緒にお祝いしました。ケーキのプレートには、息子の名前と叔父の名前も入っていました。叔父はとても喜んでくれ、私も恩返しができたような気がしました。

それから2カ月余りが経ったある日、そんな当たり前の生活が突然変わりました。叔父がくも膜下出血で倒れ、そのまま亡くなってしまったのです。ついこないだまで一緒に誕生日をお祝いしたのに。電話したら普通に話ができたのに。息子と同じ誕生日をもっと一緒にお祝いしたかった…。

当たり前の生活は突然なくなるのです。そして、それはなくなってからしか気づかないものなのです。

私に起こったできごと②

以前のブログにも書いていますが、私に起こった不幸なできごと2つ目は、突然の長男の病気です。

長男が1歳半にして突然、難病を発症したのです。それまで、時々熱を出していましたが、大きな病気はせず、息子が1歳になった時に、私は職場復帰していました。復帰してから半年経ち、子どもを抱えての仕事にもようやく慣れてきた頃でした。

高熱が続いた息子は病院で検査をしてもらったその日から緊急入院し、私は自宅に帰れないまま、つきっきりで看病することになりました。地方の病院では治療が難しいと、本当に自宅にも一度も戻れないまま、都市部の大きな病院に転院し、慣れない場所での入院生活が始まりました。

息子の病気は全く快復する気配を見せず、私はようやく悟ったのです。「これは運命だ。もう起こってしまったことなのだから、今後息子がどうなろうともそれを受け入れるしかない。」と。そう悟ってからは、もう泣くことをやめました。泣いても何も変わらないことがわかったからです。

一時的に買い物などで病院の外に出ると、子どもを連れて散歩するお母さんや幸せそうな家族をよく目にしました。「少し前までは、私もあんな風に普通の生活を送れていたのに。元の生活に戻れるのなら戻りたい!」と強く思いました。

当たり前の生活を失って初めて気づいたのでした。

そんな中、行った治療法の1つが奇跡的に効き、長男の病気は快方に向かい始めました。入院してから1カ月ほど経っていました。これ以上、熱が続いていたら小さな身体は持たなかったかもしれません。

それからは本当に驚くほどのスピードで回復し、息子は3カ月ほどの入院を経て、無事に退院することができました。私も新設された介護休暇を利用することで職場復帰を果たしました。

この経験を忘れず「当たり前の生活」に感謝しましょう!

もし、今後コロナウイルスに対する抗体や治療薬が開発されたら、元の生活に戻れるのでしょうか?

もし戻れたとしても、今年のこの「当たり前の生活」ができなくなった日々を忘れないでほしいのです。「当たり前の生活」ができなくなって初めて、私たちは今までがどんなに過ごしやすく、幸せだったか気づいたはずです。

今、毎日を何の気なしに淡々と過ごしているあなたも、この「当たり前の生活」ができていることに感謝しましょう。私のように、思わぬできごとが突然身の回りに起こり、当たり前の生活ができなくなるかもしれないのです。普段から当たり前の生活ができることに感謝して過ごすことで、これからの生活にも前向きに、また積極的に取り組むことができます。私も、特に実体験後は、普通の生活や当たり前の日常を送れることをとても幸せに思い、感謝して行動するようになりました。

今でも、もしかするとこの次の瞬間に、自分の大切な人に会えなくなるかもしれない。私自身も急に事故に遭う可能性だってあります。そんなことがいつ起きるかはわかりません。もし、そんなことが起きても後悔しないように、今、ここに生きて「当たり前の生活」を送れることに感謝しながら(まだコロナは完全ではありませんが)、今を精一杯に生きる!それが大切です。

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